ノブをまわすと

その日観た映画や、演劇をはじめとした舞台公演に、ちょっとした感想でも。

熱狂

日本/’17年公演(再々演)/劇団チョコレートケーキ(古川健作、日澤雄介演出)


ナチスが台頭した30年代前後のドイツにおいて、いかに大衆の支持を固めていったかを描く。
全世界が知ることとなる暴走までの軌跡。そこにあるのは使命感と謀議謀略と、大衆への軽視に尽きます。彼らが選挙で選ばれた政党であり、大衆が求めたのだということをどう受け止めるかが問われています。とはいえ、作品としては説明描写ばかりで、その熱狂の一端も掴めず。
ヒトラー役に西尾友樹。ひたむきで不器用な印象が新鮮。

自己紹介読本

日本/’18年公演(再演)/城山羊の会(山内ケンジ作・演出)


とある広場に集まった人々の群像劇。
これだけシリアスなのに笑いが起き続けるというのは、凄い。ちょっとした仕草やズレを観察し絶妙に戯曲化されていることで、自分のコントロール外で笑いが漏れてしまう。誰も成長しないし何も解決しないんだけれども(工事は終わる)、提供されるのは非常に人間的な観劇体験なのでした。
空気の読めなさを客観視するとこうなるかと思う岡部たかし

GS近松商店

日本/’15年公演(再演)/新歌舞伎座公演(鄭義信作・演出)


田舎町で暮らす人々を取り巻く哀しき金と恋の物語。初演はテント芝居な、近松門左衛門の「曾根崎心中」と「女殺油地獄」をベースにした作品です。
故郷は息の詰まる場所であり、抜け出すには死しかない。そんな悲劇を逆に「生」のたくましさで描き切るのは鄭戯曲だからこそ。ダメな人しかいないけど、悪い人はいなくて、だからこそしんどくて、苦しくて。逃げればいいとは簡単に言えるけれど、「場」を失う恐怖は尋常じゃない。
ガソリンまみれの観月ありさの色気。

セールスマンの死

日本/'18年公演/KAAT神奈川芸術劇場アーサー・ミラー作、長塚圭史演出)


家族を持ち、セールスマンとして生きた男の希望と絶望を描く。アメリカの劇作家ミラーの代表作です。
手に職があるわけでない根無し草だからこそ、何か自分がそこに生きたという動かしがたい意味を持ちたかったのでしょう。彼が唯一「生産」した息子に期待をかけるあまり、個として認めてほしかった息子は潰れてしまう。誰も悪人がいないからこそ非情で苦しい作品でした。
風間杜夫の圧倒的存在感。

あの記憶の記録

日本/’17年公演(再々演)/劇団チョコレートケーキ(古川健作、日澤雄介演出)


イスラエルに住む家族が、語られなかったアウシュビッツの記憶をこじあける。様々な賞に輝く劇団、初鑑賞です。
ホロコーストを題材にした人間ドラマは、海外戯曲かと誤認するかのごとく、その筆は太く。使命感でも贖罪でもなく、それを語らざるをえないというリアルに、押し潰されるようでした。憎しみの連鎖は断ち切れるのか、個人に優先される「国」があるのか、という問いは、深く、重い。
妻役の吉田久美による最後の台詞は満点。

学校

学校 [DVD]
日本/’93年製作/山田洋次監督


夜間中学に通うさまざまな境遇の生徒と教師の交流を描く。
幸せとは、学ぶとは、生きるとは。最も身近であり、それでいて最も難しい設問について、じっくり考える機会なんてほとんどなくて。でもこうして1本の映画と出会うことで、立ち止まって考えてみる。そんな機会が生まれることが楽しくて、こうして映画を観ているのだと思います。
お茶目で頼りがいのある西田敏行。抜群の存在感の田中邦衛

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
米/’16年製作/デイビッド・イェーツ監督


法律で禁止されている魔法動物をまちに放してしまったことから巻き起こる騒動を描く。「ハリー・ポッター」シリーズのスピンオフ作品です。
英文学ファンタジーアメリカナイズされるとこうなってしまうのか。設定がわかりにくいのはさておき、現実世界における魔法のなんでもありさは無粋でしかなく、ワクワクもハラハラもしませんでした。人が死んでも忘れて終わりってそれはないでしょう。あとビーストがファンタジックでないのが致命的。
主人公エディ・レッドメインはどういう立ち位置なのか。